館長ブログ「館話本題」
館話本題⁑35 専門と顧問
館話本題とは・・・護佐丸歴史資料図書館の館長が日々つれづれを呟くブログコーナーです。図書館での出来事、図書館あるある、意外と知られていない中城村の魅力について、館長独自の目線で語っています。毎週土曜日更新!
一期一会の出会い、どうぞご一読ください。
館話本題 三十五
漢字を覚える方法というのがあって、例えば「桜」という字は、もともとの「櫻」と書いていた。いわゆる旧字体である。その覚え方が「2階の女、気にかかる」というもの。一度聞いたことがある、という人にとってはあえて説明するまでもないが、この「櫻」という字は、分解すると「貝」が二つ、それに「女」と「木」から成る。「二つの貝」を「2階」といい、「木」を「気にかかる」に引っ掛けたところが、実によくできた覚え方だと感心した。高校生のとき、国語の先生が黒板に書きながら説明していたのを記憶している。
他にいつくかの漢字を書いていたと思うが、「櫻」以外記憶にない。まさに「気になった」としか言いようがない。
では、「専門」と「顧問」の違い。これも同じく高校生のときの英語の先生が説明したものである。いずれも後のほうは「もん」と読むが、漢字は「門」と「問」。さて、どう覚えればいいか。もっとも、漢字そのものの意味を考えれば、間違うことはないだろうが、かの先生曰く。
これは、専門の「門」には「口」が付いていないが、顧問の「問」には「口」があることを表現したもの。
「櫻」の説明は、情景が浮かんで風流な感じもするが、この場合、かの英語の先生は少し皮肉を込めて説明していたよう思う。自分自身は、今でもその説明が頭にこびりついて、専門家というと、不明確なこと、よく解らないことについては、口を挟まないものだという観念が、今もって強く残っている。
先日、琉球の近世期の専門家による講演会があった。近世期の中城に関するものである。長年、琉球の家譜や海外交易について研究し、地名や首里王府の統治組織等についても詳しい。いわゆる専門家である。
講演を終えて、質問の時間になり、会場から2,3名が手を挙げた。「歴史」に関心があるというか、造詣が深いと思われる方が、護佐丸の最期について意見を述べ、これについて講師に質問した。簡単にいうと、忠誠を尽くして戦わずに自死したのか、それとも戦って死んだのかという質問である。
それに対するかの専門家の答えは「いろいろな考え方があると思うが、護佐丸の生きたとされる時代の資料がなく、よく解らない」と、あっさりしたものだった。
講演を聞いている自分は、どんな答え方をするのだろうかと気にしていたが、さすが専門家、「下手なことは口にしなかった」
一期一会の出会い、どうぞご一読ください。
館話本題 三十五
専門と顧問
漢字を覚える方法というのがあって、例えば「桜」という字は、もともとの「櫻」と書いていた。いわゆる旧字体である。その覚え方が「2階の女、気にかかる」というもの。一度聞いたことがある、という人にとってはあえて説明するまでもないが、この「櫻」という字は、分解すると「貝」が二つ、それに「女」と「木」から成る。「二つの貝」を「2階」といい、「木」を「気にかかる」に引っ掛けたところが、実によくできた覚え方だと感心した。高校生のとき、国語の先生が黒板に書きながら説明していたのを記憶している。
他にいつくかの漢字を書いていたと思うが、「櫻」以外記憶にない。まさに「気になった」としか言いようがない。
では、「専門」と「顧問」の違い。これも同じく高校生のときの英語の先生が説明したものである。いずれも後のほうは「もん」と読むが、漢字は「門」と「問」。さて、どう覚えればいいか。もっとも、漢字そのものの意味を考えれば、間違うことはないだろうが、かの先生曰く。
「専門家は口出ししないが、顧問は口を出す」
これは、専門の「門」には「口」が付いていないが、顧問の「問」には「口」があることを表現したもの。
「櫻」の説明は、情景が浮かんで風流な感じもするが、この場合、かの英語の先生は少し皮肉を込めて説明していたよう思う。自分自身は、今でもその説明が頭にこびりついて、専門家というと、不明確なこと、よく解らないことについては、口を挟まないものだという観念が、今もって強く残っている。
先日、琉球の近世期の専門家による講演会があった。近世期の中城に関するものである。長年、琉球の家譜や海外交易について研究し、地名や首里王府の統治組織等についても詳しい。いわゆる専門家である。
講演を終えて、質問の時間になり、会場から2,3名が手を挙げた。「歴史」に関心があるというか、造詣が深いと思われる方が、護佐丸の最期について意見を述べ、これについて講師に質問した。簡単にいうと、忠誠を尽くして戦わずに自死したのか、それとも戦って死んだのかという質問である。
それに対するかの専門家の答えは「いろいろな考え方があると思うが、護佐丸の生きたとされる時代の資料がなく、よく解らない」と、あっさりしたものだった。
講演を聞いている自分は、どんな答え方をするのだろうかと気にしていたが、さすが専門家、「下手なことは口にしなかった」
ブログ文責:館長村吉