館長ブログ「館話本題」
館話本題⁑49 「一隅を照らす」
館話本題とは・・・護佐丸歴史資料図書館の館長が日々徒然をつぶやくブログコーナーです。当館の館長に就任して1年。当館の出来事や中城村の話題、読んだ本についてなどなど、いろいろ語っていただきました。今回含め、あと2回の更新をもって、「館話本題」は終了となります。1年間楽しい話題提供、本当にありがとうございました。
館話本題 四九
暦の12月が1年の節目であるように、3月は卒業・退職・転職・異動など社会生活・職業生活上の節目であり、やや大げさにいえば人生の転機にもなる。自分自身を振り返ると、幼・小・中・高・大と5つの卒業式を体験してきたし、卒業後は数度の退職・転職・異動を経験している。
しかし、大抵の場合、しっかりした目的・目標をもってその道に進んだという意識はないので、どれが人生の節目・転機だったのかよくわからない。
大学4年次になっても意欲的な就職活動もせず、当てもなく沖縄に戻ってきた。
われながら「ナンクルナイサニ」という生き方がぴったりではないかと思う。実にイイカゲンな人生である。
数十年前までは、日本的経営・雇用制度の代名詞として「終身雇用」「年功序列」が当たり前の常識で、企業・経営者も働く人もそれを当然のこととして受け入れていたが、いつしか「規制緩和」とか「多様な働き方」などの標語がもてはやされ、諸外国の経営学者からも日本的経営として評価されていた「終身雇用」「年功序列」などが否定され、いまや死語になりつつある。
現在の雇用慣行・雇用状況を見ると、派遣・臨時・嘱託などいわゆる「非正規雇用」が大きな比重を占めるようになっている。時代の流れといってしまえばそれまでだが、はたしてこのままでいいのかと不安になる。このような雇用慣行に見合った社会の仕組みに変えていくしかないのだろうか。
契約期間が終了して他の道に進まざるを得ない人、あるいは自らの進む方向を定めて職を変える人……、さまざまである。
これを「多様性」といえば受け入れやすいが、かつての雇用慣行の下で働いてきた世代には何となく気がかりである。
何が、あるいは何処が人生の転機になるのか、人には分からないし、本人ですら予測できない面もある。
与えられたその場、その時をその人なりに精いっぱいこなすこと、それしかないように思う。
「一隅を照らす」という有名な言葉がある。
最澄の記した「山家学生式」が出典という。
詳細は知らないが、一隅とは文字通りの社会・世の中の片隅。たとえ人の目に着かない片隅にいても、そこを照らすことができる人―そんな人こそ社会の宝物ではないか。そのような意味だと解している。
人にはそれぞれ節目がある。
そんな中でも3月という時季には大小さまざまな節が刻まれているはずで、その次の新たな節までそれぞれの場所で、できることや与えられたことを無心にこなして欲しいと思う。
館話本題 四九
一隅を照らす
暦の12月が1年の節目であるように、3月は卒業・退職・転職・異動など社会生活・職業生活上の節目であり、やや大げさにいえば人生の転機にもなる。自分自身を振り返ると、幼・小・中・高・大と5つの卒業式を体験してきたし、卒業後は数度の退職・転職・異動を経験している。
しかし、大抵の場合、しっかりした目的・目標をもってその道に進んだという意識はないので、どれが人生の節目・転機だったのかよくわからない。
大学4年次になっても意欲的な就職活動もせず、当てもなく沖縄に戻ってきた。
われながら「ナンクルナイサニ」という生き方がぴったりではないかと思う。実にイイカゲンな人生である。
数十年前までは、日本的経営・雇用制度の代名詞として「終身雇用」「年功序列」が当たり前の常識で、企業・経営者も働く人もそれを当然のこととして受け入れていたが、いつしか「規制緩和」とか「多様な働き方」などの標語がもてはやされ、諸外国の経営学者からも日本的経営として評価されていた「終身雇用」「年功序列」などが否定され、いまや死語になりつつある。
現在の雇用慣行・雇用状況を見ると、派遣・臨時・嘱託などいわゆる「非正規雇用」が大きな比重を占めるようになっている。時代の流れといってしまえばそれまでだが、はたしてこのままでいいのかと不安になる。このような雇用慣行に見合った社会の仕組みに変えていくしかないのだろうか。
契約期間が終了して他の道に進まざるを得ない人、あるいは自らの進む方向を定めて職を変える人……、さまざまである。
これを「多様性」といえば受け入れやすいが、かつての雇用慣行の下で働いてきた世代には何となく気がかりである。
何が、あるいは何処が人生の転機になるのか、人には分からないし、本人ですら予測できない面もある。
与えられたその場、その時をその人なりに精いっぱいこなすこと、それしかないように思う。
「一隅を照らす」という有名な言葉がある。
最澄の記した「山家学生式」が出典という。
詳細は知らないが、一隅とは文字通りの社会・世の中の片隅。たとえ人の目に着かない片隅にいても、そこを照らすことができる人―そんな人こそ社会の宝物ではないか。そのような意味だと解している。
人にはそれぞれ節目がある。
そんな中でも3月という時季には大小さまざまな節が刻まれているはずで、その次の新たな節までそれぞれの場所で、できることや与えられたことを無心にこなして欲しいと思う。
ブログ文責:村吉館長