続・館長ブログ「吉の浦だより」
詩人「茨木のり子」の朗読会(吉の浦だより50)
2024年12月21日(土)午後、平和祈念資料館で「茨木のり子」の朗読を中心とするイベントが開かれます。茨木のり子(本名:宮崎のり子 → 三浦のり子)は大正15年に生まれ、平成18年に亡くなった詩人で、近年は教科書にも載っていますのでご存じの方も多い事でしょう。当館にも『茨木のり子詩集』、『詩のこころを読む』等の著書が収蔵されています。
茨木のり子(1946年撮影、パブリック・ドメイン)
「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」の作品が特に有名ですが、他にも傑作が数多くあります。私が好きなのは「花の名」という詩です。
「浜松はとても進歩的ですよ」
「と申しますと?」
という会話ではじまるこの詩は、昭和38年、茨木のり子が愛知県吉良町で開業医をしていた父・宮崎洪(ひろし)の告別式を終え、東京に戻る列車の中で乗り合わせた登山帽をかぶった男との会話を軸に展開します。たまたま同じ年齢で、戦争中は南洋にいたという男は、ラバウル小唄は良い唄だったとか、子どもが3人いるとか、能天気な調子で話しかけてきます。のり子は適当に相手をしていますが、心のうちでは亡くなった父のことを考えています。
「あなた知りませんか?ううんとね
大きな白い花がいちめんに咲いてて……」
男が花の名を知りたがり、のり子が「泰山木じゃないかしら?」と答えた時、「花の名前を沢山知っているのなんかとてもいいものだよ」という父の言葉が頭をよぎり、これをきっかけに想いが溢れ出します。男との会話と父への追憶が頭の中で交錯し、読みながらこれについて行こうとすると、必然的にその場・その時に居たかのような感覚に引き込まれる。これは計算でしょうか。東京駅で男と別れた時、花の名が「泰山木」ではなく「辛夷」ではなかったかと思い返し、「お前は抜けている」といった父の言葉と男がいつか花の名の誤りに気付くだろうかという考えが合流します。もう二度と会うこともないであろう登山帽の男も、父と同様記憶の中の人物になった訳で、人との関わりは濃淡・長短はあれども畢竟こういうものなのかなと、作者が考えたかどうかは分かりませんが、私はそのように感じました。
イベントのチラシです
こう書くと、この詩人について昔から知っていたみたいですが、実は違います。10月に今回のイベントを企画した佐藤建吉さんから話を伺ったとき、「イバラギ・ノリコ…。はて、どこかで聞いたような」と思いました。そんなレベルです。その後、図書館で彼女の詩集を読みました。名前に聞き覚えがあった理由は後で分かりました。南風原文化センターの館内に彼女の詩が掲示されていたことを知ったのです。他に思い当たる接点はないので、たぶんここで見たのでしょう。今回のイベントでは、センター勤務時代に茨木のり子の詩を掲示した平良次子さん(現対馬丸記念館長)も登場するとのこと。楽しみです。
(文責:濱口寿夫)
茨木のり子(1946年撮影、パブリック・ドメイン)
「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」の作品が特に有名ですが、他にも傑作が数多くあります。私が好きなのは「花の名」という詩です。
「浜松はとても進歩的ですよ」
「と申しますと?」
という会話ではじまるこの詩は、昭和38年、茨木のり子が愛知県吉良町で開業医をしていた父・宮崎洪(ひろし)の告別式を終え、東京に戻る列車の中で乗り合わせた登山帽をかぶった男との会話を軸に展開します。たまたま同じ年齢で、戦争中は南洋にいたという男は、ラバウル小唄は良い唄だったとか、子どもが3人いるとか、能天気な調子で話しかけてきます。のり子は適当に相手をしていますが、心のうちでは亡くなった父のことを考えています。
「あなた知りませんか?ううんとね
大きな白い花がいちめんに咲いてて……」
男が花の名を知りたがり、のり子が「泰山木じゃないかしら?」と答えた時、「花の名前を沢山知っているのなんかとてもいいものだよ」という父の言葉が頭をよぎり、これをきっかけに想いが溢れ出します。男との会話と父への追憶が頭の中で交錯し、読みながらこれについて行こうとすると、必然的にその場・その時に居たかのような感覚に引き込まれる。これは計算でしょうか。東京駅で男と別れた時、花の名が「泰山木」ではなく「辛夷」ではなかったかと思い返し、「お前は抜けている」といった父の言葉と男がいつか花の名の誤りに気付くだろうかという考えが合流します。もう二度と会うこともないであろう登山帽の男も、父と同様記憶の中の人物になった訳で、人との関わりは濃淡・長短はあれども畢竟こういうものなのかなと、作者が考えたかどうかは分かりませんが、私はそのように感じました。
イベントのチラシです
こう書くと、この詩人について昔から知っていたみたいですが、実は違います。10月に今回のイベントを企画した佐藤建吉さんから話を伺ったとき、「イバラギ・ノリコ…。はて、どこかで聞いたような」と思いました。そんなレベルです。その後、図書館で彼女の詩集を読みました。名前に聞き覚えがあった理由は後で分かりました。南風原文化センターの館内に彼女の詩が掲示されていたことを知ったのです。他に思い当たる接点はないので、たぶんここで見たのでしょう。今回のイベントでは、センター勤務時代に茨木のり子の詩を掲示した平良次子さん(現対馬丸記念館長)も登場するとのこと。楽しみです。
(文責:濱口寿夫)