スタッフ中城ハンタ道
歴史の道 中城 ハンタ道 を行く
世界遺産・中城城跡へ続く歴史の道「中城ハンタ道」のことはご存知でしょうか。
このたび、平成27年3月10日付の官報告示で「中城ハンタ道」が正式に国の指定文化財となりました
中城村では、中城城跡に次いで2件目の国指定文化財となります。
歴史の道「ハンタ道」って?
首里城を起点とし、西原町幸地グスク、中城村中城グスク、うるま市勝連グスクにいたる琉球王朝時代の道です。
グスク時代(12-14世紀頃)に、グスクとグスクを結ぶ道として利用された道が、琉球国を統一した尚巴志により整備されたといわれています。
中城村の崖に沿って道が通っていることから、地元ではハンタ(はしっこ・がけっぷち)道と呼ばれています。
2015年3月10日に、中城ハンタ道は「国指定文化財」に指定されました
(※指定範囲・・・新垣地区・ペリーの旗立岩・伊舎堂地区)
ハンタ道地図(←リンク後「ハンタ道」をクリックしてください)
2月某日、中城ハンタ道を実際に歩いてみました。
これから中城ハンタ道を歩こうと考えている方はご参考にどうぞ
その1 服装は「長袖」「長ズボン」「帽子」「運動靴」がベストです。(一部山道に入るため、ガジャン(蚊)対策が必要です。虫よけスプレーを持つといいですね)→女性の方、観光気分の延長でヒールでの挑戦はダメ!絶対!
その2 持ち物は①飲み物 ②携帯電話(いざという時の連絡手段)③マース袋(念のため)④杖(夏の時期のハブ対策として)
その3 歩く時期は、11月~3月頃がベスト
→熱中症やハブとの遭遇率が下がります、多分。
その4 約2時間は歩くと覚悟する。
→覚悟する!階段登り降り!
その5 東太陽橋(あがりてぃだばし)からスタートし中城城跡をゴール地点とする行程がオススメです
→途中キシマコノ嶽⇔新垣集落までのなが~い階段は、降りる方が楽だと思います・・・。(あえて筋肉に挑戦する方はぜひ逆コースで)
その6 中城村教育委員会に問い合わせてみる。
→歴史の道ハンタ道は現在、整備の過程にあります。時期により通るのが困難な場合も生じますので、事前に問い合わせて頂くとスムーズで快適な歴史の道散策ができるかと思います。
【お問合わせ 中城村教育委員会 生涯学習課 TEL:098-895-3707】
その7 周辺の商業施設への駐車はご遠慮ください。
それでは、長々と書き連ねましたが、平成27年2月時点のハンタ道の様子をご覧ください
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スタート
13:00 東太陽橋(あがりてぃだばし)
13:15 南上原のユクヤー
東太陽橋から15分ほど歩くと、「南上原のユクヤー」という場所につきます。
この辺りはハンタ道を通る旅人の休憩場所だったそうです。風通りがよいのでとても涼しく、また景色も最高です
向かって右手方面にいくとちょうど赤い屋根のカフェがあります。
スタートして15分で休憩は早すぎなので、私たちはそこをスルーし、カフェ沿いの道を歩いていきます。
13:30 安里壱里山
石畳を目印にひたすら歩いていくと、「安里壱里山」に出ます。
旅人のしばしの休憩場所とするために一里(約4km)ごとに一里塚(一里山)が設けられていました。この場所は「安里壱里山」と「正保三年琉球国絵図」(1646年)に記載されています。戦後、道路の拡張により壱里山は壊されてしまいました。
ひたすら石畳を目印に歩くと、向かい側に、階段が現れます。ここを登ります!(筋肉がんばりポイントちなみに172段ありました。)
ひたすら階段を上り、頑張った先には、中城湾などが見下ろせます
天気がもっと良ければ遠くに勝連城跡が見えるそうですよ!
13:35 キシマコノ嶽(または161.8高地陣地)
※写真は以前のもののため、草の繁茂状態など景観が現状と異なります。
「キシマコの嶽」という、中城村奥間集落の御嶽(ウタキ)があります。奥間集落発祥の地で、現在も集落の人々に拝まれています。
その上には沖縄戦時に作られた161.8高地陣地があります。沖縄戦時中、地元の石工達が自然の形に近いように構築されるよう命じられて作ったそうです。戦争遺跡として中城村指定文化財として保存されています。
道からそれて草薮の中を歩くので、ご覧になりたい方は、ハブに注意してください
この辺りからだいぶ疲れてたので写真がありません。すみません・・・
キシマコの嶽を過ぎて、長い階段をひたすら降りていきます。(足ガクガクポイント)
どれくらい長いかは、下の写真の景色が眺望できるということでお察しください。m(- -)m
13:50 若南原ビラ→新垣集落
ここを歩いていると、ちょいちょいこのようなものを見かけます・・・。
畑の四方にさしている場合は魔除けとしてマジムンが畑内の作物に悪さしないように差しているものですが、周辺の葉にこのように結ばれているのはあまり見たことが無く、マース袋をそっと握りしめて進みました。(後日聞いたらウォーキングを主催した団体さんが目印に結んだだけだそうですので、ご安心を)
14:00 ユームトゥビラ(新垣集落内)
石畳のある新垣集落ののどかな様子に癒されつつ、ひたすら歩きます。
14:05 ツンマース
以前この場所には大きな松が生えており、その周囲を円形に石積で囲って、ロータリーの役割をさせていたことから、地元ではツンマースと呼ばれています。道の分岐点となっており、東側へいくと「新垣グスク・ペリーの旗立岩・中城城跡」へ向かい、西側に行くと宜野湾に続いています。
14:10 新垣グスク周辺・根所(ニードゥクル)
中城村新垣集落の拝所です。
新垣ムラの創始者の屋敷跡と伝えられています。戦前はこの周辺で十五夜の村遊びが行われ住民総出で歌や踊りが演じられていました。
↑内原の殿(ウチバラノトゥン)
海石とコンクリートで作られたこの祠は、「内原の殿」と呼ばれる拝所で、琉球王国時代のノロ制度のもと祭祀がとり行われていました(大正期頃まで)。中には自然石と香炉があります。現在も新垣集落の区長や有志の方々に拝まれています。
14:20 ペリーの旗立岩
琉球石灰岩のこの大岩は地元では「ターチャーイワ(二つ岩)」と呼ばれています。
1853年、アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊が那覇港に寄港しました。その時、調査隊が沖縄本島の調査を行い、中城グスクへ至るハンタ道の道中でこの大岩を発見し、頂上に旗を立て岩山征服を記念し祝砲を打ち鳴らしました。その様子が調査隊に同行していたハイネにより描かれています。ペリー提督の『日本遠征記』の中で、この大岩をバナーロック(Banner Rock)と名付けたという記載があります。
14:25 代替道
石畳にしたがって突き進んでいくと、このような道に出ます。
1960年代に村による土の採掘やゴルフ場建設により山々が切り崩され、本来のハンタ道の姿を失ってしまいました。
かつてのハンタ道は標高140mほどの山々の尾根を通っていたため道の東側と西側は急斜面となっており眺望のよい道でした。
また、戦前まではこの道沿いに松が群生しており、遠くから見ると山の上の松が馬のたてがみのように見えたそうです。
その代替道を通っていきます。フェンスの外側を歩いているので、多少不安になりますが、きちんと道は続いているので大丈夫です!
また、今回(2月時点)は草の繁茂状態もひどくはなかったので大丈夫でした。
ここから道路の向こう側に渡るので、車には十分に気を付けて下さい。
さて、ゴールの中城城跡まであと一息です!!
一気に中城城跡へ行くぞーと意気込んだところで・・・
少しお待ちください
消えかかって読みにくいですが、「中城城跡は有料です」と書かれています。
財布に400円あるかチェックして進みましょう!
ここから先は「喜石原(キイシバル)古墓群」と呼ばれ、掘込墓、破風墓、亀甲墓など多種多様なお墓が点在する場所です。
ペリー艦隊大琉球奥地踏査隊が古墓群の沿道を通った際の様子が『日本遠征記』に記載されています。
山道を道なりに進んでいくと道が二つに分かれます。左に進みましょう。
右に行くと「この先行き止まり」の看板があります。
左に少し進んだところで、ちょっとここで寄り道します。
草に覆われて見落としがちですが、階段があります。
ギイスノテラ(ヤハンメー御嶽)
階段を登ると、小洞穴が見え、その中に霊石が祀られているのが見えます。
中城村添石の拝所で『琉球国由来記』(1713年)には「ギイス嶽:神名ギイス森ノ御イベ」と記載されています。添石村のマス島袋の祖先が霊石を小洞穴に安置して祀ったのが最初といわれていますが詳細は不明です。
ここで健康祈願をしつつ、先に進みます!
少し進むとまた、分かれ道が出てきます。左側の道に行きましょう。(右側は廃墟の中を通るため安全上おススメしません)
某有名な廃墟を通り抜けます!(気合だ!)
ここを通ると、建物の中を風が通るヒュォオオオオ・・・!という音がして、絶対一人では歩けない雰囲気がかもしでます。
通り過ぎると、そこにでっかい巨岩が現れました。
雷岩
琉球石灰岩の大岩で、かつてこの岩に雷がよく落ちていたことから地元では「雷岩」と呼ばれています。
集落を結ぶ道・新垣グスクを経由して首里へいく道・宜野湾間切番所への道の3つの道が交わる交通の要衝として雷岩はランドマークの役割を果たしていました。
15:00 ゴール中城城跡到着!
中城城跡の敷地内に合流します。
ここで約2時間にわたる歴史の道「中城ハンタ道」の旅は終わります。
最後に・・・
2人以上で歩くことをおススメします!
→今回女子3人で歩きました*^▽^* おしゃべりしながらの歴史の道散策はとても楽しかったです*´ω`*
個人で計画していくもよし、中城村が企画するイベントに参加するのもよし
中城村では毎年11月頃に「護佐丸ウォーキング」という、ガイド付きで中城ハンタ道を散策するという素敵なイベントがあります!毎年大人気のイベントです^^
第4回 護佐丸ウォーキング2014年11月開催
イベントが行われるということは、歴史の道 草刈り隊が動く!ということなので、この時期を狙って歩くのもいいと思います。
お問合わせ
中城村教育委員会 生涯学習課
TEL:098-895-3707
FAX:098-895-6353
このたび、平成27年3月10日付の官報告示で「中城ハンタ道」が正式に国の指定文化財となりました
中城村では、中城城跡に次いで2件目の国指定文化財となります。
歴史の道「ハンタ道」って?
首里城を起点とし、西原町幸地グスク、中城村中城グスク、うるま市勝連グスクにいたる琉球王朝時代の道です。
グスク時代(12-14世紀頃)に、グスクとグスクを結ぶ道として利用された道が、琉球国を統一した尚巴志により整備されたといわれています。
中城村の崖に沿って道が通っていることから、地元ではハンタ(はしっこ・がけっぷち)道と呼ばれています。
2015年3月10日に、中城ハンタ道は「国指定文化財」に指定されました
(※指定範囲・・・新垣地区・ペリーの旗立岩・伊舎堂地区)
ハンタ道地図(←リンク後「ハンタ道」をクリックしてください)
2月某日、中城ハンタ道を実際に歩いてみました。
これから中城ハンタ道を歩こうと考えている方はご参考にどうぞ
- - - - - - - - - -歩くためのワンポイントアドバイス- - - - - - - - - -
その1 服装は「長袖」「長ズボン」「帽子」「運動靴」がベストです。(一部山道に入るため、ガジャン(蚊)対策が必要です。虫よけスプレーを持つといいですね)→女性の方、観光気分の延長でヒールでの挑戦はダメ!絶対!
その2 持ち物は①飲み物 ②携帯電話(いざという時の連絡手段)③マース袋(念のため)④杖(夏の時期のハブ対策として)
その3 歩く時期は、11月~3月頃がベスト
→熱中症やハブとの遭遇率が下がります、多分。
その4 約2時間は歩くと覚悟する。
→覚悟する!階段登り降り!
その5 東太陽橋(あがりてぃだばし)からスタートし中城城跡をゴール地点とする行程がオススメです
→途中キシマコノ嶽⇔新垣集落までのなが~い階段は、降りる方が楽だと思います・・・。(あえて筋肉に挑戦する方はぜひ逆コースで)
その6 中城村教育委員会に問い合わせてみる。
→歴史の道ハンタ道は現在、整備の過程にあります。時期により通るのが困難な場合も生じますので、事前に問い合わせて頂くとスムーズで快適な歴史の道散策ができるかと思います。
【お問合わせ 中城村教育委員会 生涯学習課 TEL:098-895-3707】
その7 周辺の商業施設への駐車はご遠慮ください。
それでは、長々と書き連ねましたが、平成27年2月時点のハンタ道の様子をご覧ください
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
スタート
13:00 東太陽橋(あがりてぃだばし)
13:15 南上原のユクヤー
東太陽橋から15分ほど歩くと、「南上原のユクヤー」という場所につきます。
この辺りはハンタ道を通る旅人の休憩場所だったそうです。風通りがよいのでとても涼しく、また景色も最高です
向かって右手方面にいくとちょうど赤い屋根のカフェがあります。
スタートして15分で休憩は早すぎなので、私たちはそこをスルーし、カフェ沿いの道を歩いていきます。
13:30 安里壱里山
石畳を目印にひたすら歩いていくと、「安里壱里山」に出ます。
旅人のしばしの休憩場所とするために一里(約4km)ごとに一里塚(一里山)が設けられていました。この場所は「安里壱里山」と「正保三年琉球国絵図」(1646年)に記載されています。戦後、道路の拡張により壱里山は壊されてしまいました。
ひたすら石畳を目印に歩くと、向かい側に、階段が現れます。ここを登ります!(筋肉がんばりポイントちなみに172段ありました。)
ひたすら階段を上り、頑張った先には、中城湾などが見下ろせます
天気がもっと良ければ遠くに勝連城跡が見えるそうですよ!
13:35 キシマコノ嶽(または161.8高地陣地)
(キシマコノ嶽)
(161.8高地陣地)
※写真は以前のもののため、草の繁茂状態など景観が現状と異なります。
「キシマコの嶽」という、中城村奥間集落の御嶽(ウタキ)があります。奥間集落発祥の地で、現在も集落の人々に拝まれています。
その上には沖縄戦時に作られた161.8高地陣地があります。沖縄戦時中、地元の石工達が自然の形に近いように構築されるよう命じられて作ったそうです。戦争遺跡として中城村指定文化財として保存されています。
道からそれて草薮の中を歩くので、ご覧になりたい方は、ハブに注意してください
この辺りからだいぶ疲れてたので写真がありません。すみません・・・
キシマコの嶽を過ぎて、長い階段をひたすら降りていきます。(足ガクガクポイント)
どれくらい長いかは、下の写真の景色が眺望できるということでお察しください。m(- -)m
13:50 若南原ビラ→新垣集落
ここを歩いていると、ちょいちょいこのようなものを見かけます・・・。
畑の四方にさしている場合は魔除けとしてマジムンが畑内の作物に悪さしないように差しているものですが、周辺の葉にこのように結ばれているのはあまり見たことが無く、マース袋をそっと握りしめて進みました。(後日聞いたらウォーキングを主催した団体さんが目印に結んだだけだそうですので、ご安心を)
14:00 ユームトゥビラ(新垣集落内)
石畳のある新垣集落ののどかな様子に癒されつつ、ひたすら歩きます。
14:05 ツンマース
以前この場所には大きな松が生えており、その周囲を円形に石積で囲って、ロータリーの役割をさせていたことから、地元ではツンマースと呼ばれています。道の分岐点となっており、東側へいくと「新垣グスク・ペリーの旗立岩・中城城跡」へ向かい、西側に行くと宜野湾に続いています。
14:10 新垣グスク周辺・根所(ニードゥクル)
中城村新垣集落の拝所です。
新垣ムラの創始者の屋敷跡と伝えられています。戦前はこの周辺で十五夜の村遊びが行われ住民総出で歌や踊りが演じられていました。
↑内原の殿(ウチバラノトゥン)
海石とコンクリートで作られたこの祠は、「内原の殿」と呼ばれる拝所で、琉球王国時代のノロ制度のもと祭祀がとり行われていました(大正期頃まで)。中には自然石と香炉があります。現在も新垣集落の区長や有志の方々に拝まれています。
14:20 ペリーの旗立岩
琉球石灰岩のこの大岩は地元では「ターチャーイワ(二つ岩)」と呼ばれています。
1853年、アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊が那覇港に寄港しました。その時、調査隊が沖縄本島の調査を行い、中城グスクへ至るハンタ道の道中でこの大岩を発見し、頂上に旗を立て岩山征服を記念し祝砲を打ち鳴らしました。その様子が調査隊に同行していたハイネにより描かれています。ペリー提督の『日本遠征記』の中で、この大岩をバナーロック(Banner Rock)と名付けたという記載があります。
14:25 代替道
石畳にしたがって突き進んでいくと、このような道に出ます。
1960年代に村による土の採掘やゴルフ場建設により山々が切り崩され、本来のハンタ道の姿を失ってしまいました。
かつてのハンタ道は標高140mほどの山々の尾根を通っていたため道の東側と西側は急斜面となっており眺望のよい道でした。
また、戦前まではこの道沿いに松が群生しており、遠くから見ると山の上の松が馬のたてがみのように見えたそうです。
その代替道を通っていきます。フェンスの外側を歩いているので、多少不安になりますが、きちんと道は続いているので大丈夫です!
また、今回(2月時点)は草の繁茂状態もひどくはなかったので大丈夫でした。
ここから道路の向こう側に渡るので、車には十分に気を付けて下さい。
さて、ゴールの中城城跡まであと一息です!!
一気に中城城跡へ行くぞーと意気込んだところで・・・
少しお待ちください
消えかかって読みにくいですが、「中城城跡は有料です」と書かれています。
財布に400円あるかチェックして進みましょう!
ここから先は「喜石原(キイシバル)古墓群」と呼ばれ、掘込墓、破風墓、亀甲墓など多種多様なお墓が点在する場所です。
ペリー艦隊大琉球奥地踏査隊が古墓群の沿道を通った際の様子が『日本遠征記』に記載されています。
山道を道なりに進んでいくと道が二つに分かれます。左に進みましょう。
右に行くと「この先行き止まり」の看板があります。
左に少し進んだところで、ちょっとここで寄り道します。
草に覆われて見落としがちですが、階段があります。
ギイスノテラ(ヤハンメー御嶽)
階段を登ると、小洞穴が見え、その中に霊石が祀られているのが見えます。
中城村添石の拝所で『琉球国由来記』(1713年)には「ギイス嶽:神名ギイス森ノ御イベ」と記載されています。添石村のマス島袋の祖先が霊石を小洞穴に安置して祀ったのが最初といわれていますが詳細は不明です。
ここで健康祈願をしつつ、先に進みます!
少し進むとまた、分かれ道が出てきます。左側の道に行きましょう。(右側は廃墟の中を通るため安全上おススメしません)
某有名な廃墟を通り抜けます!(気合だ!)
ここを通ると、建物の中を風が通るヒュォオオオオ・・・!という音がして、絶対一人では歩けない雰囲気がかもしでます。
通り過ぎると、そこにでっかい巨岩が現れました。
雷岩
琉球石灰岩の大岩で、かつてこの岩に雷がよく落ちていたことから地元では「雷岩」と呼ばれています。
集落を結ぶ道・新垣グスクを経由して首里へいく道・宜野湾間切番所への道の3つの道が交わる交通の要衝として雷岩はランドマークの役割を果たしていました。
15:00 ゴール中城城跡到着!
中城城跡の敷地内に合流します。
ここで約2時間にわたる歴史の道「中城ハンタ道」の旅は終わります。
最後に・・・
2人以上で歩くことをおススメします!
→今回女子3人で歩きました*^▽^* おしゃべりしながらの歴史の道散策はとても楽しかったです*´ω`*
個人で計画していくもよし、中城村が企画するイベントに参加するのもよし
中城村では毎年11月頃に「護佐丸ウォーキング」という、ガイド付きで中城ハンタ道を散策するという素敵なイベントがあります!毎年大人気のイベントです^^
第4回 護佐丸ウォーキング2014年11月開催
イベントが行われるということは、歴史の道 草刈り隊が動く!ということなので、この時期を狙って歩くのもいいと思います。
.・**それでは、よい歴史の道「中城ハンタ道」散策の旅を**・.
お問合わせ
中城村教育委員会 生涯学習課
TEL:098-895-3707
FAX:098-895-6353
この記事へのコメント
改めて見るといいブログですね。
Posted by 隣の猫好き at 2015年08月01日 18:22
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