中城村護佐丸歴史資料図書館

平成28年5月30日(ごさまるの日)オープン!!
中城村の英雄「護佐丸」や世界遺産・中城城跡をはじめ、琉球史が学べる歴史資料図書館です。本ブログでは、当館の企画展やイベント情報、活動様子などを紹介します。
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続・館長ブログ「吉の浦だより」

ムラサキカタバミ開花(吉の浦だより10)

2021年が始まりました!今年もよろしくお願いします。

年が明けてから一段と寒い日が続いているところですが、吉の浦周辺ではいろいろな植物が花をつけていて、彼らの処には一足早く春が来ているのかと思ったりしています。年中見られるシロノセンダングサや、群生して咲き誇るツワブキが目立つ存在ですが、今回は道端などでひっそり咲き始め、いま最盛期を迎えているムラサキカタバミ(方言名;ヤハタグサ、ヤファタ)をご紹介しましょう。

ムラサキカタバミ開花(吉の浦だより10)
道端のムラサキカタバミ(2021年1月10日撮影)

年末頃から、畑の隅や道端、芝生の間などあちらこちらでムラサキカタバミが薄桃色の花を覗かせるようになりました。この植物は暑い時期は休眠する性質があるそうで、確かに夏から11月ぐらいまでは余り見かけた記憶がありません。ところが12月になると、地面から湧くような感じで沢山出てきました。ちなみに、ムラサキカタバミは根から直接葉柄を伸ばす植物で「茎」はありません。

この草は、見た目のたおやかさとは裏腹に畑の強害草として恐れられていました。花粉が出来ないので(なので、おしべの葯が白い!)実はつきませんが、地中の鱗茎の周囲に子鱗茎とよばれる小さな球根を作り、これで増殖します。普通の雑草のように無造作に引き抜いたり、うっかり鋤き込んだりすると、子鱗茎が土中に散らばり増えてしまいます。一個体のムラサキカタバミが生産する子鱗茎は、条件が良ければ100個以上にもなるそうです!(中間・中園, 1977)。農家の人々はこの性質に相当手を焼いていたようで、中城村史第1巻通史編(408頁)には以下のような記述があります。

「特にヤハタグサには神経をとがらせていました。ヤハタグサを見付けたら根っこから掘り出し球根の一粒一粒を石で叩きつぶしたうえ、深い穴を掘って埋めてしまいました。部落によっては、畑の近くの要所要所に大きなカメを埋め、その中にヤハタグサを入れて腐らせる工夫もなされていました。」

高江洲(1992)はインゲンの収量に対するムラサキカタバミの影響を調べています。雑草のない畑(除草区)と、1平米あたりムラサキカタバミの鱗茎を24個植えた畑(ムラサキカタバミ区)を用意し、それぞれで他の条件を同じにしてインゲンを育てたのです。インゲンの方がムラサキカタバミより背が高いので光を遮られることはなく一見正常に生育している様子でしたが、サヤの収量はムラサキカタバミ区では除草区に比べ半分以下になってしまいました。相当、水や養分を奪うようです。昔の農家の人々は経験的にムラサキカタバミの害が大きいことを知っていたのでしょう。

ムラサキカタバミは南米原産の外来植物で、日本には江戸末期に観賞用として持ち込まれたと言われています。では、沖縄には日本本土から移入されたのでしょうか?はっきりしたことは言えませんが、必ずしもそうとは考えられないようです。言語学者の宮良當壯は『日本方言彙編』の「紫酢漿草(むらさきかたばみ)」の項で「此植物は平良殿内が支那より観賞用として将来せるものなりと云ふ」と記しています。宮古島では「タイワンミャーツキ」と呼ばれていました(天野,1979)。「台湾から来たカタバミ」の意でしょう。沖縄へは中国あるいは台湾から持ち込まれた可能性がある訳です。どこから来たかはひとまず置くとして、いずれにせよ農家から「目の敵」にされることになるムラサキカタバミですが、はじめは熱烈歓迎だったのかも知れません。

ところで、ムラサキカタバミは花も葉も、食べられるとのこと。シュウ酸を含んでいるので、あまり大量に摂取するのは具合が悪いと思いますが、少量であれば味のアクセントになりそうです。『スキマの植物図鑑』(塚谷, 2014)という本を読んでいると、ムラサキカタバミの鱗茎下に出来る太った根(牽引根)には甘味があり梨のような食感である旨の記述があり吃驚しました。先月初め、庭からムラサキカタバミ掘り出したところ、牽引根らしきものがありましたので早速よく洗ってから食べてみました。美味しいとは言い難いですが、ほの甘くシャリシャリした食感で「梨みたい」と言えぬこともありません。

ムラサキカタバミ開花(吉の浦だより10)
ムラサキカタバミの牽引根(2020年12月5日撮影)

ムラサキカタバミの話はこれで一区切りですが、役場(新庁舎)近くの路傍で近縁種のハナカタバミを見つけたのでついでに触れておきます。

ハナカタバミはムラサキカタバミと同じOxalis属の植物で、南アフリカ原産です。姿形は似ていますが、花も葉も二回りほど大きいです。花はムラサキカタバミより赤みが強く、おしべの葯は黄色です。二千石取りの旗本で本草学者でもあった馬場大助が安政2年(1855年)に著した『遠西舶上画譜』には「天保十三壬寅年蘭人持渡ル」とありますので(東京国立博物館 online)、この情報が正しければ、1842年に西洋人が日本に持ってきたことになります。

江戸時代に渡来した南米と南アフリカのカタバミが中城で出会っている訳で、植物の運命もなかなか不思議なものです。ところで、ハナカタバミはムラサキカタバミほど分布を拡大する力が強く無いようで、私も野外で見るのは初めてです。どなたか趣味のある方が植えたのでしょうか?

ムラサキカタバミ開花(吉の浦だより10)
ハナカタバミ(2021年1月10日撮影、花の最盛期はクリスマスの頃でした)

ムラサキカタバミ開花(吉の浦だより10)
葉の比較(左;ムラサキカタバミ、右;ハナカタバミ)

【引用文献】
天野鉄夫.1979.琉球列島植物方言集.新星図書出版,那覇.

宮良當壯.1982.日本方言彙編 宮良當壯全集 第1巻.第一書房,東京.

中城村史編集委員会編.1994.中城村史 第1巻 通史編.中城村役場,中城村.

中間征洋・中園昭.1977.ムラサキカタバミの生態と防除 第1報 種子島における生活環について.雑草研究 22(Suppl): 152-154.

高江洲賢文.1992.沖縄県における畑雑草の生育機構に関する研究.岡山大学農学部博士論文.

東京国立博物館.「画像検索.遠西舶上画譜.画像番号C0026709」 (2021年1月12日参照).

塚谷裕一.2014.スキマの植物図鑑.中央公論新社,東京.

(文責:濱口寿夫)


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