中城村護佐丸歴史資料図書館

平成28年5月30日(ごさまるの日)オープン!!
中城村の英雄「護佐丸」や世界遺産・中城城跡をはじめ、琉球史が学べる歴史資料図書館です。本ブログでは、当館の企画展やイベント情報、活動様子などを紹介します。
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★開館時間:平日・祝日10:00~19:00 土・日10:00~17:00

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館長ブログ「館話本題」

館話本題⁑21 19世紀初頭のイギリス人が見た琉球(その1)

9月の重要なお知らせ 右 蔵書点検に伴う閉室と貸出冊数増冊のお知らせ

館話本題とは・・・護佐丸歴史資料図書館の館長が日々つれづれをつぶやくブログコーナーです。中城村のこと、図書館のこと、本のことなどなど館長独自の目線で語ります。毎週土曜日更新しています!

題 其の二十一



19世紀初頭のイギリス人が見た琉球 (その1)

ベイジル・ホール著『朝鮮・琉球航海記』(岩波文庫、1986年)


1816年2月9日、イギリス海軍軍艦アルセスト号(マレー・マクスウェル艦長)とライラ号(ベイジル・ホール艦長、訳書によってはバジル・ホールとも表記)の2艦が中国、朝鮮を経て同年9月16日に那覇に来航した。
それから10月27日に出帆するまでの40日余の琉球の人々との交渉・交流の様子や風俗など見たり聞いたりしたことをまとめたのがこの『朝鮮・琉球航海記』である。

ペリー提督の来航(1853年)より37年前の琉球に関する記録である。
 
この一行の中には「中国人召使い」が通訳として同乗していたが、琉球に来る前に立ち寄った朝鮮半島南東沿岸部の島嶼では、この中国人の言葉はまったく役に立たなかったらしい。
それに対して、琉球では話が通じたようで、その人を介して意思疎通を図っている。
中国を頂点とする冊封体制下の王国としての、あるいはかつて東南アジアを結ぶ海外交易の拠点の一つとして「万国津梁」を高らかに宣言した海洋民族の面目躍如といったところであろうか。
 
では、当時の琉球王国の英語力はどの程度だったか。

この『航海記』には「真栄平」と「安仁屋」という人物が登場する。いずれも王府の通事(通訳)である。
そのうち真栄平は、イギリスの生活習慣や英語を学ぶことに大変熱心で「あらゆる事物を知り尽くしたいという熱烈な望み」を持っていたと記されている。
また、ときどき、英語の本を朗読してくれるよう頼み、それに応えると「全神経を耳にあつめて聞き入るのがつねであった」という。

ホールらが琉球に来て1か月たったころ、安仁屋はどうしているのかと真栄平に訊ねた。
すると真栄平は、”Anya,him mother sick,he go him mother house.”と答えたという。

また、ある日、真栄平に「イギリスに行かないか」と留学の話を持ちかけた。
これに対して、真栄平はしばらく考え、首をふって次のように話したという。
“I go Injeree,――father,mother,childs,wife,house,all cry ! not go,no,no,all cry ! ”

真栄平の話した英語をホールはちゃんと聞き取って記述していることから、意思は十分通じたのであろう。ちなみに、”Injeree”とはイギリスのことらしい。

この真栄平という人物は、名を房昭といい、唐名は柯世栄。
1787年に首里の金城で生まれ、1829年に43歳で病没している。
イギリス人の来琉時は29歳頃。
真栄平家には、ホールから贈られたナイフや英語の備忘録などが伝わっていたようだが、沖縄戦で焼失したという。


イギリス人がみた琉球(その2)につづく!
9月9日(土)更新


ブログ文責:館長村吉


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