中城村護佐丸
5月30日は護佐丸の日です!

突然ですが5月30日は、中城村ではゴ(5)サ(3)マル(0)、
護佐丸の日です。
郷土の歴史に興味を持ってもらおうと、地元の英雄・護佐丸にちなみ、530のゴロ合わせで、2009年に中城村が制定しました。
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中城村ごさまるの日を定める条例
第1条 先人達が残した豊かな歴史と文化、自然に対する関心と理解を深め、もって次世代への伝統文化の継承と、村民の郷土を愛する心を育むことを目的として、ごさまるの日を定める。
第2条 ごさまるの日は、5月30日とする。
中城村例規集 第1編 総規 第1章 村制 より
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毎年ごさまるの日には、中城村長をはじめとする職員が護佐丸のお墓参りに行っています。

*護佐丸(ごさまる) (1390?~1458年)
現恩納村の山田按司の子として生まれる。
1416年、中山王尚巴志とともに北山王攀安知(はんあんち)討伐に参戦、琉球王国の統一に貢献。
1440年、座喜味グスク(読谷)より中城グスクに移る。
1458年、護佐丸・阿麻和利の乱により没する。
・座喜味グスク、中城グスクを築城したことから築城の名人として言い伝えられている。
*護佐丸の本名とは?
毛氏家譜(豊見城家)によると、始祖・盛春中城按司護佐丸とあります。
童名(わらびなー)は真牛(もうし)、唐名(とうめい)は国鼎(こくてい)、号が瑞亭(ずいきょう)とあります。
一説には「王を護り補佐する者」として「護佐丸」という名が国王より贈られた、もしくは、三男として生まれたから御三丸と呼ばれていた、などの伝えがありますが、どれも確証はありません。(護佐丸は二男という説もあります)
*護佐丸が中城村民に与えた影響
護佐丸について記された文書には、護佐丸を始祖とする「毛姓家譜」や「毛氏先祖由来記」、「異本毛氏先祖由来記」、「球陽」などがあります。
それらから読み取れる護佐丸像というのは「英雄」「誠実」「忠臣」な人物です。
そんな護佐丸像が中城村民に与えた影響は大きく、『中城村史 通史編』によると、大正5年頃に「護佐丸神社」の設立を検討していたようなのです

その後どのような経緯をたどったのか不明ですが、今のところ護佐丸神社なるものは見当たらないので、調べてみたい気もします・・・。
戦前にはムラアシビで「護佐丸」という組踊が上演されたり、村内の学校では学芸会で「護佐丸」の合同劇を演ずるのが常例だったようです。
また中城小学校や津覇小学校では、明治末期から戦前頃まで小学校歌に護佐丸の名がうたわれていました。
護佐丸は中城村の学校教育の現場においても、目標とする人間像だったということがうかがえます。
現在も中城村がいかに護佐丸ラブ

一、中城村のイメージキャラクターに護佐丸を採用(護佐丸君)。

誕生日:5月30日
特 技:石積み
趣 味:月見、パズル
チャームポイント:ひげ、村特産島人参
一、村の施設に護佐丸の名をつけている(exごさまる陸上競技場、護佐丸歴史資料図書館)
一、村運営の公共バスの名前が「護佐丸バス」

一、村のイベント「護佐丸ウォーキング」が大好評。
・毎年11月ごろに行われる中城ハンタ道(歴史の道)などをコースに含めたウォーキングのイベントです。
一、中城村内の小・中学校では「ごさまる7」という取組がある。

一、中城村内の小学校に「中城ごさまる科」(教育課程特例校)が新設!NEW
(中学校では「総合学習の時間」の選択コース(「ごさまるコース」)として平成27年度より授業が開始!NEW

このように、中城村は現在も護佐丸尽くしな村なのです。
護佐丸が残した世界遺産・中城城跡を通して、中城の歴史と文化を次世代へ受け継いでいけるように様々な取組を模索しています。
ちなみに、こんな護佐丸もいます。中城村内のどこかにいますので探してみては?

ブログ担当:フクチリ
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