館話本題⁑22 19世紀初頭のイギリス人が見た琉球(その2)

中城村護佐丸歴史資料図書館

2017年09月09日 09:00

9月の重要なお知らせ 蔵書点検による閉室と貸出冊数増冊のお知らせ


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題 其の二十二

19世紀初頭のイギリス人が見た琉球 (その2)

ベイジル・ホール著『朝鮮・琉球航海記』(岩波文庫、1986年)


未読の方はコチラ19世紀初頭のイギリス人が見た琉球 (その1)

1689年に麻酔による手術をおこなった高嶺徳明についてはよく知られている。
当時の琉球国王尚貞の孫・尚益が生まれつきの口唇裂であった。王府は高嶺を中国に派遣して医術を学ばせ、帰国後、麻酔による手術をおこなっている。
日本では、1804年に華岡青洲が世界で初めて全身麻酔による手術をおこなったとされる。高嶺の手術はそれを遡ること100年以上も前のことである。琉球王国では中国の医学を取り入れ、かなりのレベルにあったのであろう。

ホールらが琉球に滞在しているとき、運悪くというか、アルセスト号のマクスウェル艦長が乗馬中に馬とともに倒れ、指を骨折するという事故が起きた。
その際、名前は不明だが琉球の「外科医」が治療にあたった。
その処置の仕方について以下のように記されている。

「卵と小麦粉に持参した薬を混ぜあわせて練った粘土状のものの中に、マクスウェル艦長の折れた指をさしこんで」、「その上で、殺したばかりの家禽の皮で指全体をすっぽりと包みこんだ」という。
「この皮はしばらくすると乾燥して、軟膏に包まれた指をしっかり固定する繃帯の役目を」果たしたという。

なお、そのとき琉球の医者が持参した箱には「ゆうに百種類をこえる薬がはいっていた」。
ホールらは、おそらく当時の琉球における医術の水準に感心したのかもしれない。

話は変わるが、ホールは帰国途中の1817年8月11日、南大西洋上のセント・ヘレナ島に寄港し、当時この島に幽閉されていたナポレオンと会見した。
岩波文庫版にはその時の会見記事自体は収録されていないが、アルセスト号のマクスウェル艦長の航海記の抄録が付録として収録されており、その時の会見の模様を次のように伝えている。

「琉球では武器を用いず、貨幣を知らない、またナポレオン皇帝の名前も知らない」とホールが話すと、ナポレオンは隣の部屋まで聞こえるほど「大笑いした」という。

もっとも、この件についてはホール自身も「(琉球では)われわれは、いかなる種類にもせよ武器というものを見ていない。
島の人々も、武器は一切ないと断言していた。」「彼らは戦争を経験したこともなく、戦争についての言い伝えも知らないと言っていた。」と書いている。
これを読んだ当時のヨーロッパの人々は「武器もなく、戦争も知らない平和な楽園」をイメージしたはずだが、はたして琉球の実態はどうだったのか。
これについて、研究者はホールの誤解であるとする見方が一般的である。


ブログ文責:館長村吉

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