館話本題⁑46 レディネス―「寝ている人」と「寝たふりをしている人」

中城村護佐丸歴史資料図書館

2018年03月03日 09:00

館話本題とは・・・護佐丸歴史資料図書館の館長が日々徒然をつぶやくブログコーナーです。中城村のこと、図書館での日々、読んだ本についてなどなど、館長独自の目線で語ります。今回は、ウチアタイ(心当たりがある)する方もいるかもしれません。

題 四六
レディネス―「寝ている人」と「寝たふりをしている人」


沖縄の諺に「ニントーセー ウクサリーシガ ニンタンフーナーヤ ウクサラン」というのがある。
意味は「寝ている人は起こせるが、寝たふりをしている人は起こせない」というもの。人は、その気がなければ、他人がいくら助言しても動かない。
自分にも思い当たることが結構あって、初めてこれを聞いたときはずいぶんウチアタイしたものである。

たとえば、音楽など聴こうという気がなければ時として単なる雑音・騒音にしかならない。
催し物の広報・案内もまさにそういうもので、広く情報を流しても、関心がなければ気にも止まらないし、仮に気に止まっても、そのときの関心の度合いによっては、すぐ忘れ去られる。
挙句の果ては、「もっと知らせてくれればよかったのに……」などと苦言をいわれる。

心理学や教育学関係の用語にレディネスというのがある。
簡単に「準備性」と訳されるが、たとえば学習するには、それを受け入れるだけの一定の知識や経験など心身の成熟・素地(準備)がなければ身に着かないというもの。また、たとえ知識や経験が備わっていても、興味・関心がなければ、いくら他人が教えても、やはり同じように身に着かない。そういうことは、われわれが日常的に経験していることである。

昨年、本村出身の海外子弟による研修発表を見る機会があった。
わずか3か月という短期間に空手や琉舞、三線などを習い、その成果を披露していた。古典舞踊の「かぎやで風」を覚え、それらしく踊る姿を見ていると、人は興味・関心や意欲があれば、短期間でも身に着くものだとあらためて感心する。
じつは数年前、地域の行事で例の「かぎやで風」を踊ることになり、自分自身も練習した。
そもそも自ら進んで踊ろうという意欲は薄く、人の後ろについて見よう見まねで手を動かしていればいいだろう、などと思っていたので、なかなか覚えられない。
素質にも問題はあるだろうが、そもそも覚えようという意欲がないのである。

ところで、冒頭の諺。
「寝ている人」と「寝たふりをしている人」の対比は、なかなか意味深である。
何事もそうだが、「やらない」と決めていることに対しては、あれこれ「やらない」あるいは「やれない」理由を考える。
「寝たふり」というのも同じことで、よほどのことがないと「起きない」のである。
それにしても人間は自分自身をうまく調整(合理化)するようにできているらしい。
都合の悪いことは「知らないふり」「聞こえないふり」をするのも現実。

ブログ文責:村吉館長

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