中城村護佐丸歴史資料図書館

平成28年5月30日(ごさまるの日)オープン!!
中城村の英雄「護佐丸」や世界遺産・中城城跡をはじめ、琉球史が学べる歴史資料図書館です。本ブログでは、当館の企画展やイベント情報、活動様子などを紹介します。
★休館日:毎週火曜日、毎月第3木曜日、祝日の翌平日(祝日振替休)
★開館時間:平日・祝日10:00~19:00 土・日10:00~17:00

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てぃーだイチオシ
過去記事


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<お問い合わせ>

中城村護佐丸歴史資料図書館
📞098-895-5302











企画展

護佐丸歴史資料図書館歴史展示室からのお知らせです。梅

歴史展示室の宮城清製作漆器の展示替えを行います。
今回は「春」をテーマに、鳳凰、梅、藤、流水などが描かれた作品を展示します。
鳳凰は再生を意味し、瑞祥(ずいしょう)の徴ともいわれ、新しい生命の誕生や芽吹きを表します。鳳凰
また、藤の花には、奇跡や幸運を呼び寄せ、長寿や繁栄をもたらすという言い伝えがあり、春にふさわしい花ですね。

宮城清さんは羽の動き、風にゆらぐ花弁、水面に浮かぶ花の様子を螺鈿で表現します。
流水

その美しさをご覧ください。
展示期間は4月29日(火)まで。

続・館長ブログ「吉の浦だより」

寒暖を繰り返しながらも季節は春に近づいていますね。海岸は海水温の影響で冬は内陸よりも基本的に暖かく、もう既に春になっているようです。吉の浦では、現在、春の花であるハマボッスが満開。ハマダイコンも紫色の花を咲かせています。海岸林の中からはウグイスの少し拙い鳴き声が聞こえて来ますし、足元ではオカヤドカリの活動が始まっています。


ハマボッス.


ハマダイコン.

今日(2025年3月8日)、昼過ぎに吉の浦海岸に行くと、波打ち際に「カツオノカンムリ(Velella velella)」が沢山散らばっていました。昨日の昼過ぎには見られなかったので、その後吹き寄せられたことになります。これまでも、吉の浦で何度か見かけていますが、今日ほど数が多いのは初めてです。


写真中央付近に見える2つの紺色のものがカツオノカンムリ.

カツオノカンムリは熱帯・亜熱帯の外洋表面を漂うクラゲの一種です。青い円盤型の本体のうえに「帆」の役割をする透明な板が立っています。これで風を受けてあちらこちらに移動する訳です。アメダスを見ると、昨日は沖縄島東海岸では東北~東北東の風が優勢でしたが、日付が変わる頃から東南東の風に変わっていました。この風に乗って来たのかも知れません。

広大な外洋を風にまかせて移動する。「風来坊」的生活にも何か利点があるからそうしているのでしょうが、こうして海岸に打ち上げられてしまっている状態を見ると他人事ながら心配になってしまいます。何を食べているのか知りませんが、以前小さな魚を捕まえたまま死んでいるカツオノカンムリを見たことがありますので、魚は食べるのでしょう。


カツオノカンムリ(刺胞の毒は強いので要注意).

カツオノカンムリが打ち上げられているときには、青紫色をしたアサガオガイやルリガイが一緒に見られることがあります。これらの巻貝は、自分で泡の塊を作り、これを「筏」として洋上を漂っています。アサガオガイ達はカツオノカンムリを食べるので、一緒に居ることがあり、一緒に打ち上げられてしまう場合があるのでしょう。広い海の上で逃げたり、追いかけたり、といってもどちらも波・風まかせですが、しているのでしょうか。風来坊の暮らしも案外厳しそうです。ちなみに、今日はアサガオガイなどを見つけることは出来ませんでした。

(文責:濱口寿夫)

護佐丸歴史資料図書館


「沖縄県読書感想文・感想画コンクール」の応募作品を中心とした、
村内小中学校の児童生徒の作品展を開催します🖌🎨

こども達が一生懸命にかいた作品をぜひご覧ください😊
村民の皆様の多数のご来場をお待ちしております‼キラキラ 


【日にち】令和7年2月7日(金)~2月24日(月・祝)
※休館日2月12日、13日、18日、20日
【時間】10:00~17:00
【場所】護佐丸歴史資料図書館 3階企画展示室





企画展とイベントのおしらせ

護佐丸歴史資料図書館よりお知らせです。
3階企画展示室にて企画展を開催します。併せてイベントも開催しますので、ご参加ください。
この企画展関連は全て無料で参加できます!

企画展「中城村の獅子舞の歴史」
開催期間:令和7年1月25日(土)~2月24日(月)10:00~17:00
場所:護佐丸歴史資料図書館 3階企画展示室 
休館日:毎週火曜日、2月12日、13日、20日
※2月11日は祝日なので開館します。

ポスター



関連イベント:上映会『うむい獅子』(58分)   & 仲宗根正廣トークイベント
開催日:2月2日(日)14時~16時半
場所:3F企画展示室
上映会


映画を鑑賞した後で、主演の仲宗根正廣氏の獅子製作にまつわるお話を伺います。
獅子がお好きな方は、ぜひ、ご参加ください。

1F歴史展示室内の宮城清漆器コーナーを再開しました!!ハベル

🎍謹賀新年🎍
はいさい!
しばらくお休みしていた1F歴史展示室内の漆器コーナーで、中城村字屋宜出身の漆工芸家・宮城清さんの作品を展示しています。
宮城清



 宮城清さんは、長年琉球漆器の歴史や技術に関する研究を行っており、貝摺奉行所文書に記録されている「煮螺の法」や「貝摺技法」を解明し、自身の研究を基に様々な漆器作品を製作しています。その伝統に根ざした技術が認められ、2018年に沖縄県指定無形文化財「琉球漆器」の保持者に認定されました。
宮城さんが製作した漆器作品「瑞雲双龍」(2010年)や「薫風」(2012年)は、先述した古文書の研究を基に、琉球王国時代の貝の加工・加飾技術を復元した貴重な作品です。
 展示室内では、製作工程を紹介した動画も上映しています。
今回は、新春をイメージさせる「龍」「藤」「椿」「梅」の作品を4点展示しています。
・双龍螺鈿盆「瑞雲双龍」」ツバキ
・螺鈿盆「薫風」
・一尺螺鈿盆「椿」
・螺鈿八寸鉢「こぼれ梅」うめ





*作品保護のため、展示作品は頻繁に入れ替えますので、ご了承ください。

続・館長ブログ「吉の浦だより」

2024年12月21日(土)午後、平和祈念資料館で「茨木のり子」の朗読を中心とするイベントが開かれます。茨木のり子(本名:宮崎のり子 → 三浦のり子)は大正15年に生まれ、平成18年に亡くなった詩人で、近年は教科書にも載っていますのでご存じの方も多い事でしょう。当館にも『茨木のり子詩集』、『詩のこころを読む』等の著書が収蔵されています。


茨木のり子(1946年撮影、パブリック・ドメイン)

「わたしが一番きれいだったとき」「自分の感受性くらい」の作品が特に有名ですが、他にも傑作が数多くあります。私が好きなのは「花の名」という詩です。

「浜松はとても進歩的ですよ」
「と申しますと?」

という会話ではじまるこの詩は、昭和38年、茨木のり子が愛知県吉良町で開業医をしていた父・宮崎洪(ひろし)の告別式を終え、東京に戻る列車の中で乗り合わせた登山帽をかぶった男との会話を軸に展開します。たまたま同じ年齢で、戦争中は南洋にいたという男は、ラバウル小唄は良い唄だったとか、子どもが3人いるとか、能天気な調子で話しかけてきます。のり子は適当に相手をしていますが、心のうちでは亡くなった父のことを考えています。

「あなた知りませんか?ううんとね
 大きな白い花がいちめんに咲いてて……」

男が花の名を知りたがり、のり子が「泰山木じゃないかしら?」と答えた時、「花の名前を沢山知っているのなんかとてもいいものだよ」という父の言葉が頭をよぎり、これをきっかけに想いが溢れ出します。男との会話と父への追憶が頭の中で交錯し、読みながらこれについて行こうとすると、必然的にその場・その時に居たかのような感覚に引き込まれる。これは計算でしょうか。東京駅で男と別れた時、花の名が「泰山木」ではなく「辛夷」ではなかったかと思い返し、「お前は抜けている」といった父の言葉と男がいつか花の名の誤りに気付くだろうかという考えが合流します。もう二度と会うこともないであろう登山帽の男も、父と同様記憶の中の人物になった訳で、人との関わりは濃淡・長短はあれども畢竟こういうものなのかなと、作者が考えたかどうかは分かりませんが、私はそのように感じました。


イベントのチラシです

こう書くと、この詩人について昔から知っていたみたいですが、実は違います。10月に今回のイベントを企画した佐藤建吉さんから話を伺ったとき、「イバラギ・ノリコ…。はて、どこかで聞いたような」と思いました。そんなレベルです。その後、図書館で彼女の詩集を読みました。名前に聞き覚えがあった理由は後で分かりました。南風原文化センターの館内に彼女の詩が掲示されていたことを知ったのです。他に思い当たる接点はないので、たぶんここで見たのでしょう。今回のイベントでは、センター勤務時代に茨木のり子の詩を掲示した平良次子さん(現対馬丸記念館長)も登場するとのこと。楽しみです。

(文責:濱口寿夫)

護佐丸歴史資料図書館


2024年も残すところあと1か月となりました。
年末年始はクリスマスや冬休み、お正月などイベントがもりだくさんです😊
護佐丸歴史資料図書館も張り切ってイベントを企画していますので、ぜひご参加ください‼

①「まついのりこ原画展」
『じゃあじゃあびりびり』など赤ちゃん絵本や紙芝居で有名な、まついのりこ氏の原画展を実施します。貴重な原画を見ることができるチャンスです!ぜひお気軽にお越しください。



②「ふゆやすみアニメ上映会」
冬休みが始まります!元気いっぱいの子どもたちの参加をお待ちしています。
過去の上映会でも大人気の2作品を上映します!どちらも新作です!




③2025年の干支、巳年にちなんだ工作教室を開催します。
プルタブとフェルトを使ってにょろにょろへびをつくろう!12月2日より申込スタートです。定員に限りがありますので、お申し込みはお早めに!



④雑誌リサイクル市開催します!
図書館2階ロビーにて開催します。人気のタイトルは早めになくなるおそれがありますので、ご了承ください。



⑤雑誌の付録抽選会
1月13日(月・祝)に実施します。何が当たるかな?お楽しみにアップキラキラ 


みなさん、図書館にあそびにきてね~~~‼✨😝

続・館長ブログ「吉の浦だより」

2024年11月20日、北谷町立博物館が開館しました。国道58号を北谷3丁目の交差点から山側に折れて、「琉球日産北谷店」と「イエローハット北谷桑江店」の間の道を150mほど進むと、突き当りに国指定史跡「伊礼原遺跡」と博物館が並んでいます。


北谷町立博物館。館の向こう側に隣接して「伊礼原遺跡」があります。

この博物館は、平成16年度の「伊礼原C遺跡保全整備基本構想」の中に「遺跡博物館」として出てきます。構想自体はこれ以前からあったかも知れませんので、少なくとも20年以上の年月を経てようやく誕生したことになります。関係者の皆様におかれましては、いろいろ大変な場面を乗り越え、今日の開館を迎えたのではないかと拝察いたします。


テープカット

開館前日の19日、記念式典と内覧会が行われ、これに参加して来ました。式典は館外で行われ、関係者のあいさつ、来賓祝辞、館の説明、琉球舞踊とすすんで、最後にテープカットという流れでした。途中、何度も軍用機が轟音を響かせる場面があり、その度に式典が中断したのが印象的でした。


常設展示室入口にある「協力金箱」。入場無料ですが、協力は歓迎です。

博物館の常設展示は伊礼原遺跡からの出土資料を中心に構成されていました。伊礼原は、縄文前期から現代まで7,000年の間、連綿と人が住み続けたところです。入口の大きなスクリーンの前に立つと、地層の映像が投影され、それぞれの文化層の出土遺物の説明などが自動的に始まります。


大型スクリーンに映像が投影されます。音声の解説付きです。

常設展示室に入って左手から正面にかけての壁面には、縄文時代の貝塚から出た食物残渣(貝殻、魚の骨など)や漁撈に使った道具、「どんぐり」を処理する道具、貝輪など、右手の壁面には縄文時代前期からグスク時代にかけての土器などが時代順に展示されています。中央には縄文時代の伊礼原の集落と、周辺海域・森林を再現した巨大なジオラマが在ります。


常設展示室入って左側の壁面。


常設展示室入って右側の壁面。ここから正面奥にかけて貝塚からの出土資料を中心に展示しています。


中央のジオラマは見応え充分!

伊礼原遺跡からは、湿地の水中に固定されていたと考えられる竹かごと「どんぐり」が出土しました。オキナワウラジロガシを水にさらしてアク抜きをしていたらしいです。ウラジロガシ以外にもシイ属、マテバシイ属、コナラ属などの「どんぐり」が大量に出土しています。現在の沖縄島では、中南部には「どんぐり」の実る木は余り生えていない印象ですが、縄文時代の伊礼原はそうでも無さそうです。もちろんアダンの実なども出土するので海岸側には今と変わらないような植生があったのでしょうが、集落後背の丘には「どんぐり」の木がたくさん生えていたと考えられます。多分、これと関係すると思いますが、ケナガネズミの骨も出土しています。


伊礼原遺跡から出土したケナガネズミの骨。

常設展示室に入って右側では、壁面のスペースを効率よく使ってたくさんの土器を時代ごとに区分して展示しています。沖縄の土器だけでなく、沖縄に移入された、あるいは沖縄の土器に影響を与えた九州・本土や奄美の土器が同じ平面に展示され、互いの関係が位置や矢印で明示されていて大変分りやすくなっています。


縄文晩期から「弥生時代」にかけての土器。

常設展示室中央のジオラマは、細かく作り込まれています。この中で、当時の人々が魚獲り、イノシシ狩り、どんぐりの処理など様々な作業をしています。森の中でハブにビックリしている人や、岩陰で昼寝をしている人もいます。皆、表情豊かで、ややオーバーアクション気味に造られているので、当時の人々の気持ちがストレートに伝わってくる感じがします。海面全体を透明なプラスチックで覆わなかったのも良いなと思いました。県立埋蔵文化財センターには国立歴史民俗博物館所蔵の2,000年前の宜野湾(真志喜だったかな)の集落・周辺環境のジオラマがあります。これも大変よくできた楽しいジオラマなのですが、「海面」を表すプラスチックの表面が経年劣化によって白っぽく濁り、「海中」が見づらくなっています。土器の見せ方といい、新しい展示には新しい工夫があるのだなと思いました。


「海面」は舟の周囲にだけあります。


植物の栽培も始まっているようです。

なお、北谷町立博物館は、無料です!隣の伊礼原遺跡と合わせて見学されると楽しいと思います。

(文責:濱口寿夫)

続・館長ブログ「吉の浦だより」



2024年11月1日(金)から当館3F企画展示室にて、中城村企画課主催の「テューンがみた沖縄」という写真展が開催されています(12月2日(月)まで)。この写真展は、1947~1949年に沖縄島各地でハートフォード・テューン氏が写した写真と映像を公開するものです。当時、一般の人々はカメラを持っていないので(それどころじゃないですね)、一般的な県民の日常生活が撮影・記録されるという機会は希だった筈です。テューン氏の写真・映像は、戦争直後の沖縄の人々の生活(祭り、農作業、商店、洗濯、子守り等々)と沖縄の風景を伝える貴重な資料ということになります。

1947~1949年の沖縄というと、私は、社会は混乱し、人々は規格住宅やバラックに住み、アフリカマイマイを食べて飢えをしのぎ…という暗いイメージを持っていました。これらのイメージは当時の沖縄社会のある側面として実在したとは思います。しかし、テューン氏の写真を見ると「それだけでは無い」ということが分かります。確かに、食べるためにソテツを処理している写真等もありますが、牛を使って農地を整備する様子や、麦の収穫、田植えの場面も記録されています。食料品や衣服を売る店があります。正月やお祭りでは、美しい衣装や晴れ着を付けた人々が写っています。そして、何よりも印象的なのは写っている人々の明るい表情です。社会状況が厳しいからと言って、人々が四六時中深刻な顔をして暮らしている訳ではありません。考えたら当たり前かも知れませんが、私は、様々な文字資料から、自分の中にそのようなイメージを作ってしまっていました。

テューン氏は当時米軍の弾薬管理の仕事をしていた人です。米本国にいた時は数学の先生をしていたと聞きました。彼が、集落の行事に積極的に参加していたことや、ウチナーンチュのハウスメイドや庭師たちと家族ぐるみの付き合いをしていた(結婚式にまで招待されています!)こと、彼が残した沖縄の人々や食べ物に関する肯定的なコメント等から、テューン氏はとても優しい性格の持ち主だったと思われます。被写体の人々の表情が明るいのはその所為もあるかも知れません。彼は沖縄を離れる時、「私たちは、戦争で破壊された小さな島で懸命に生き延びた、静かで優しい人々との思い出を胸に沖縄を去りました」と述べました。

(文責:濱口寿夫)
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