続・館長ブログ「吉の浦だより」
2024年11月1日(金)から当館3F企画展示室にて、中城村企画課主催の「テューンがみた沖縄」という写真展が開催されています(12月2日(月)まで)。この写真展は、1947~1949年に沖縄島各地でハートフォード・テューン氏が写した写真と映像を公開するものです。当時、一般の人々はカメラを持っていないので(それどころじゃないですね)、一般的な県民の日常生活が撮影・記録されるという機会は希だった筈です。テューン氏の写真・映像は、戦争直後の沖縄の人々の生活(祭り、農作業、商店、洗濯、子守り等々)と沖縄の風景を伝える貴重な資料ということになります。
1947~1949年の沖縄というと、私は、社会は混乱し、人々は規格住宅やバラックに住み、アフリカマイマイを食べて飢えをしのぎ…という暗いイメージを持っていました。これらのイメージは当時の沖縄社会のある側面として実在したとは思います。しかし、テューン氏の写真を見ると「それだけでは無い」ということが分かります。確かに、食べるためにソテツを処理している写真等もありますが、牛を使って農地を整備する様子や、麦の収穫、田植えの場面も記録されています。食料品や衣服を売る店があります。正月やお祭りでは、美しい衣装や晴れ着を付けた人々が写っています。そして、何よりも印象的なのは写っている人々の明るい表情です。社会状況が厳しいからと言って、人々が四六時中深刻な顔をして暮らしている訳ではありません。考えたら当たり前かも知れませんが、私は、様々な文字資料から、自分の中にそのようなイメージを作ってしまっていました。
テューン氏は当時米軍の弾薬管理の仕事をしていた人です。米本国にいた時は数学の先生をしていたと聞きました。彼が、集落の行事に積極的に参加していたことや、ウチナーンチュのハウスメイドや庭師たちと家族ぐるみの付き合いをしていた(結婚式にまで招待されています!)こと、彼が残した沖縄の人々や食べ物に関する肯定的なコメント等から、テューン氏はとても優しい性格の持ち主だったと思われます。被写体の人々の表情が明るいのはその所為もあるかも知れません。彼は沖縄を離れる時、「私たちは、戦争で破壊された小さな島で懸命に生き延びた、静かで優しい人々との思い出を胸に沖縄を去りました」と述べました。
(文責:濱口寿夫)